医薬分業の起源

医薬分業の起源について紹介

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医、薬業を分離することが必要だった背景は、ヨーロッパの王位継承に毒殺が多く、それを防止することから始まったと言われています。

 

医薬分業は、どういった起源なのか?

 

医薬分業の起源は毒殺防止だった

 

中性アラビアでは金を得ることを目的として、物質の変換・精製のための技術が進歩しました。
総称して錬金術と言いますが、今で言う化学・それに続く薬学の基礎となったのです。様々な化学薬品の製造は同時に毒物も産み出し、ヨーロッパに伝わると王位継承争いで毒殺が横行しました。

 

フリードリヒ二世は1204年に世界初の医薬分業法を制定したために分業の粗と言われています。彼はシチリア王国の王ですが3歳で即位し、18歳でプロセインの王になり、26歳では神聖ローマ帝国の皇帝になり、54歳で亡くなっています。

 

彼の作った医薬分業法には、相互監視の考え方が入っていて欧米各地に広まり、更には世界中の規範となりました。分業は「診断して処方箋を書く者」と「処方箋を見て薬剤を調剤する者」とに分かれて行われるものです。

 

イスラムで発展した薬学はヨーロッパで実施する上でのシステムを産み出しましたが、日本へこの考え方が入ってくるのはずっと後のことです。明治になり政府はドイツに法制を主に学びましたが、この時初めて医薬分業の概念が導入されたのです。

 

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*フリードリヒ二世(Friedrich U 1194〜1250年) アラビアで発達した錬金術が化学の発展をもたらしたが、一方で毒薬も生み出し、王位継承をめぐる争いでしばしば毒殺が繰り返された。フリードリヒ二世は神聖ローマ帝国皇帝になった時に勅命で医薬分離法を制定した。

 

 

■フリードリヒU世による5ヶ条の法令

 

1.医師と薬剤師に免許を与えるとともに、医師は医療のみを行い、薬は薬局に置くものとする。医師は薬局と関連のあるいかなる事業をも経営してはならない。いかなる薬局をも医師のもとに置いてはならない。また医師は薬局といかなる金銭的な契約を結んでもならないし、薬局を経営してもならない。

 

2.政府によって任命された監督官が、薬局で調整された薬剤が法に従って作られたものであることを調べる。もし薬剤師が犯していたら財産を没収。監督官が違反を見逃し、悪事に加担したときは死刑とする。

 

3.強度の一定した、効き目の確かな薬剤を調製することを先生する義務を負わせる。

 

4.薬局の数を定めて、国内に適正に分布するようにし、特定の地域に集中しないようにする。

 

5.薬価は政府が定める。




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