調剤薬局経営者にMRが多い

なぜ、調剤薬局経営者にMRが多いのか?

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調剤薬局は比較的新しい業態です。少なくとも1965年に東京・本郷に調剤薬局1号が出現するまでは皆無でした。その後分業推進の国の方針に乗って80〜90年代に各地に登場するようになりました。

 

なぜ、調剤薬局経営者にMRが多いのか?

 

医師との繋がりで調剤薬局を開設

 

1970年代半ばまでは調剤薬局がなかったために薬局はOTC薬や雑貨を売り生計を立てていましたが、比較的経営は安定していました。1974年以降、医薬分業が推進されました。しかし、手書き処方せんの解読の経験がないため従来の薬局薬剤師は勉強する必要がありました。そこで薬剤師会では会営薬局を開局し、処方せんの受け入れや講習会の開催・医薬品の備蓄など行ったのです。

 

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それと同時に会営薬局とは別に個人の調剤薬局が多くできました。この経営者は現在はMR、かつてプロパーと呼ばれた製薬業者の営業マンでした。プロパーは医師への過剰接待や薬価の格差を生み出したために製薬業界では流通改善に踏み切らなければならない状況でした。そして名称もMR(Medical Presentative):医薬情報担当者とし、業務の性格を変えたのです。

 

 

一代の創業者がほとんどの調剤薬局

 

1992年に建値制度(新仕切り制度)が導入されました。これはプロパーが医療機関との価格交渉を禁止するものです。そしてプロパーはMRとなり、自社商品の販促することから、医薬品を正しく使うための情報の伝達・収集・提供と自社の製品の普及に変わったのです。MRは高収入ですが激務です。医師の面談は病院だと20〜40人、開業医だと1件以上を回ります。活躍するのは20〜30代でそれ以上は体力的に厳しく転機を迎えます。転機を迎え、医師との強力なパイプを持っていたMRは調剤薬局を開設するのに絶好の機会を得たのです。

 

それに対して町の薬局は、出遅れたのは間違いありません。一番のネックは昔からの医師と薬剤師の力関係でした。地域ぐるみで成功した例もあります。そこには薬剤師会の強力なリーダーがいたからです。いずれにせよ、現在の調剤薬局の経営者は殆どがMR出身者で一代の創業者です。

 

 

(MRの接待制限)
MRがプロパーと呼ばれていた頃、その業務の多くが医師の接待費に費やされていた。MR時代になって影を潜めたが、学術活動支援と名を変えた接待は残っている。このため大手製薬企業で構成する医療用医薬品製造業公正取引協議会は2012年4月から接待上限額20000円(商談・打ち合わせを伴う会食は5000円まで)、2次会やゴルフ・カラオケ等を禁止する自主規制を決めた。




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