街の薬屋から進化したドラッグストアの歴史

街の薬屋から進化したドラッグストアの歴史

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日本のドラッグストア作りは、1970年代から始まりました。過去の業態にとらわれる慣行や各種保険の保護政策を打ち破るという取り組みが有志で始まったのです。当時は、業界の異端児といわれたものでした。スタートは、厳しいものでした。

 

街の薬屋から進化したドラッグストアの歴史

 

目指すのは、旧来型経営からの脱却

 

ドラッグストアの前身は、街の薬屋です。薬局・薬店といったものでした。それから、ドラッグストアを作り出したのですが、その理由は2つでした。「旧来型の医薬品小売業の将来に不安を抱いたこと」「旧態依然の商慣行を打破しようとしたこと」です。

 

戦後の経済復興からOTC薬(一般用医薬品)は、昭和30年代に全盛を迎えました。製薬メーカーはます・プロ(大量生産)、マス・セールスを展開しました。国民の間では、保健薬のブームが起こったのです。OTC薬は当時、医薬品全体の50%の生産金額を占めていました。

 

ところが乱売が多発して、販売のあり方に批判が集中しました。時を同じくしてアンプルかぜ薬事件も起こりました。

 

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その結果、再販制度の強化、適配条例(「薬局等の適正配置条例」)の制定などが行われました。規制強化への流れが強まったのです。再販制度は、小売の利益を保証します。しかし、価格は高止まりしますし、メーカーが力を持ちます。

 

再販制度は、1996年廃止(新聞、書籍は除く)、適配条例は1975年に違憲判決を受けました。執行したために、医薬品販売は自由競争時代に入ります。そして、1960年代に、スーパーマーケットにダイエーなどの新興勢力が現れ、販売額で百貨店を追い抜きました。流通革命が始まったのです。

 

1970年、日本でドラッグストアを作ろうとする経営者たちは、ボランタリーチェーンを結成しました。オールジャパンドラッグ(AJD)と日本ドラッグ(NID)でした。AJDは76年、総勢46名で米国ドラッグストア視察を初めて行いました。レポートを見ると、ドラッグストア・ショッピングセンターは広い売り場面積を持っていることに刺激、衝撃を受けたのでした。

 

 

保健業
OTC業の中のビタミン剤、滋養強壮剤など健康を保つための薬。

 

アンプルかぜ薬事件
有効成分を水溶液に混合してアンプルに入れたかぜ薬より、ショックなどのアレルギーで死亡する消費者が続出した薬害事件。

 

再販制度
メーカーの指定した価格での販売を義務付ける行為。戦後の物資がない時、日用品、医薬品などが独禁法の例外として認められた。現在は、新聞、書籍を除き廃止されている。

 

ボランタリーチェーン
独立した小売事業者が連携、組織化して、商標使用や仕入れ、物流などを共同で行う形態。




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